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旭川ラーメン


旭川ラーメン

ご当地グルメの中でも定番、代表的なのがラーメンです。

単価が安く作れがちで、よいメニューができあがると、全国で有名になり、多くのラーメンマニアが飛びつくことから、町おこしなどにもよく、全国で多種多様なご当地ラーメンが生み出されています。

特に北海道は広くて寒いのであったかい料理が好まれ、多くのご当地ラーメンが登場しています。


旭川ラーメン(あさひかわラーメン)とは、北海道旭川市周辺で供され食されるラーメンであり、ご当地ラーメン(ご当地グルメ)の一つ。

札幌ラーメンの味噌ラーメン・函館ラーメンの塩ラーメンに対し、旭川ラーメンは「醤油ラーメン」とメディアなどで称されることが多いが、特段制約がなされているものではない。旭川大学経済学部江口ゼミナールの調査によると、半数以上の店舗で醤油味が売れ筋であるという調査結果がある。

旭川市は人口比のラーメン店数が多い地域でもある。

スープの特徴

Wスープ

スープは魚介類と、豚骨・鶏ガラ・野菜でだしをとったWスープで醤油ダレのものが比較的多く、65%以上のラーメン店でWスープが採用されている。一例を挙げると、あさひかわラーメン村で提供されているラーメンのうち、半数以上がWスープのラーメンとなっている。
Wスープが主流となった背景には、かつての旭川市では養豚業が盛んで、廃材になる豚の骨を活用する為に豚骨スープが考え出されたが、豚骨スープ特有の強い臭みを消し、更に風味を加えるための工夫として煮干や昆布などの魚介類を併用するようになった歴史が挙げられる。同じ豚骨を用いたスープでも、臭みをそのまま残した白湯スープを中心に進化した博多ラーメンとは異なるスープとなっている。
また、旭川市は北海道の中心部にあり海とは無縁ではあるものの、古くから物流の拠点として発展し流通網が発達していたこともあり、北海道各地で生産された豊富な海産物を入手し易く、魚介類を昭和初期から容易に用いることができたこともWスープが主流となった背景として挙げられる。
豚骨スープに関してはアイヌ文化の影響を指摘する資料があり、アイヌの人々が昔から食べていた「ソップ」と呼ばれる白濁した豚骨スープの食文化が受け継がれていたという説もある。ソップは博多ラーメンにも影響を与えたとも言われている。

ラード

スープにラードを入れることが旭川ラーメンの特徴の一つとして挙げられ、スープの上層に多めの油が浮いているものが多い。冬季に零下30度を下回る旭川市の厳しい気候条件を受けて、スープの上層に浮かぶ油膜の層でスープ全体を覆うことで湯気があまり立たなくなり、スープを冷めにくくするために生まれた特徴であると言われている。
だし油・マー油・ねぎ油などの香味油や、苦味や香ばしさが際立つ焦がしラードを用いる店舗も存在する。

味噌ラーメンも人気が高い。スープは札幌ラーメンを旭川で受け入れられるよう試行錯誤された結果、濃厚でこってりしているものが多い。辛味噌ラーメンを提供している店舗も多数存在する。
1988年にはらーめん山頭火が創業。山頭火のスープは博多ラーメンに近い白濁したもので、トッピングにキクラゲや小梅を使用するなど、昔ながらの旭川ラーメンとは異なる工夫がされているが、市民の間で人気となり、のちに山頭火系と呼ばれる同種のラーメン店が多く出現してからは、多様なラーメン店が登場するようになっている。

麺の特徴

旭川ラーメンの麺の特徴を一言で言えば低加水縮れ中細麺である。

麺の形状的には中細の縮れ麺が最も多く、旭川で営業している店舗の53.2%で採用しており、次いで中太の縮れ麺を28.6%の店舗で採用している。全体では9割を超える店舗で縮れ麺が採用されており、ストレートの麺はあまり見られない。

加水率は25%~29%と低い。加水率が低い縮れ麺は食感が硬めで歯切れが良く、小麦粉の香りが残り、茹であげた後でもスープを吸収しやすく麺に絡みやすい特徴がある。低加水率麺には、麺が伸びやすい欠点もある。

自家製麺を行なっている店舗もあるが、旭川市の製麺所が製造する麺を使用する店舗が8割以上を占める。

具の特徴

オーソドックスな昔ながらの旭川ラーメンではねぎ・メンマ・チャーシューとシンプルな具で、味付けせず塩抜きだけしたメンマを使うことが多かったが、近年は多種多様なラーメン店が出店しているため、その限りでは無い。また、旭川発祥の名物である塩ホルモンや豚トロがチャーシューの代わりに用いられることもある。

観光客向けにホタテやコーンなどの北海道特産物や、バターなどの乳製品を加えたラーメンも存在する。

価格帯

上記のように、豚骨・鶏ガラ・魚介・野菜などの多数の素材を用いたスープと、多加水麺よりもコストが高くつくとされる低加水麺を使用しているラーメンが旭川ラーメンの特徴と言えるが、そのため原材料のコストが高くなりがちで、一杯あたりの価格帯は他地域と比較すると高めとなっている。

歴史

旭川ラーメンの始まりには諸説ある。札幌ラーメンのルーツと言われている1922年(大正11年)創業の中華料理店「竹家食堂」が、1933年(昭和8年)に旭川で「芳蘭」と言う支店を出し中華麺文化が始まり、1936年(昭和10年)に、2015年まで営業を続けていた「八条はま長」と言う蕎麦屋で、ラーメンをメニューに掲載したと言う説も残されているが[13]、第二次世界大戦などの影響もあり、一旦姿を消す。

概して戦前の旭川ラーメンは、札幌ラーメンの亜流的な位置づけであったとされる。ラーメンは「東京ラーメン」のようにスッキリとしたものであった。

戦後は、地元で独自の工夫をしたラーメンが広がり始める。戦後間もない1947年(昭和22年)にラーメン専門店として創業し現在に至るまで続いている「蜂屋」と、同年に屋台から始めた「青葉」の2店のスタイルが旭川中に広がっていった。この頃から既にWスープや低加水麺などの旭川ラーメンの特徴的な要素が形作られている。

次いで1950年(昭和25年)に「特一番」が、1952年(昭和27年)には「天金」が創業し、ラーメン文化が徐々に市内へ浸透して行き、現在まで続く旭川ラーメンの源流となった。特一番は、旭川ラーメンとしては初めてチェーン展開を行なったと言われており、最盛期には10店舗存在した。現在も旭川市内で5店舗が営業を続けている。また特一番の暖簾分けに「新特一番」や「味特」などがあり、東京にもチェーン展開を行うなど、当時の繁盛振りを物語っている。

1960年代後半から70年代前半にかけて、札幌ラーメンの影響を受けて旭川で味噌ラーメンを取り扱い始めた「よし乃」を皮切りに、正油ラーメン以外の味を主力にする店舗が現れるなど、以降各地のラーメンの影響を受けつつ成長してきた。

1996年(平成8年)にあさひかわラーメン村が誕生。旭川市の商工部観光課もPRに力を入れ、観光の目玉としても親しまれるようになった[13]。2001年(平成14年)には旭川ラーメンを含む、北海道のラーメンが北海道遺産として認定された。

平成以降は蜂屋や青葉が新横浜ラーメン博物館に出店したり、旭川市外の店舗へ暖簾分けをしたり、日本国内のみならず国外まで展開するチェーン店が生まれるなど、北海道外でも旭川ラーメンの名が広まっている。


参考


旭川ラーメン.txt · 最終更新: 2021/12/15 04:59 by moepapa

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