このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
両方とも前のリビジョン 前のリビジョン | |||
旭川ラーメン [2021/12/15 04:49] moepapa |
旭川ラーメン [2021/12/15 04:59] moepapa |
||
---|---|---|---|
行 71: | 行 71: | ||
観光客向けにホタテやコーンなどの北海道特産物や、バターなどの乳製品を加えたラーメンも存在する。 | 観光客向けにホタテやコーンなどの北海道特産物や、バターなどの乳製品を加えたラーメンも存在する。 | ||
+ | |||
+ | < | ||
+ | < | ||
+ | </ | ||
+ | |||
+ | ===== 価格帯 ===== | ||
+ | |||
+ | 上記のように、豚骨・鶏ガラ・魚介・野菜などの多数の素材を用いたスープと、多加水麺よりもコストが高くつくとされる低加水麺を使用しているラーメンが旭川ラーメンの特徴と言えるが、そのため原材料のコストが高くなりがちで、一杯あたりの価格帯は他地域と比較すると高めとなっている。 | ||
< | < | ||
行 86: | 行 94: | ||
</ | </ | ||
+ | ===== 歴史 ===== | ||
+ | |||
+ | 旭川ラーメンの始まりには諸説ある。札幌ラーメンのルーツと言われている1922年(大正11年)創業の中華料理店「竹家食堂」が、1933年(昭和8年)に旭川で「芳蘭」と言う支店を出し中華麺文化が始まり、1936年(昭和10年)に、2015年まで営業を続けていた「八条はま長」と言う蕎麦屋で、ラーメンをメニューに掲載したと言う説も残されているが[13]、第二次世界大戦などの影響もあり、一旦姿を消す。 | ||
+ | |||
+ | 概して戦前の旭川ラーメンは、札幌ラーメンの亜流的な位置づけであったとされる。ラーメンは「東京ラーメン」のようにスッキリとしたものであった。 | ||
+ | |||
+ | 戦後は、地元で独自の工夫をしたラーメンが広がり始める。戦後間もない1947年(昭和22年)にラーメン専門店として創業し現在に至るまで続いている「蜂屋」と、同年に屋台から始めた「青葉」の2店のスタイルが旭川中に広がっていった。この頃から既にWスープや低加水麺などの旭川ラーメンの特徴的な要素が形作られている。 | ||
+ | |||
+ | 次いで1950年(昭和25年)に「特一番」が、1952年(昭和27年)には「天金」が創業し、ラーメン文化が徐々に市内へ浸透して行き、現在まで続く旭川ラーメンの源流となった。特一番は、旭川ラーメンとしては初めてチェーン展開を行なったと言われており、最盛期には10店舗存在した。現在も旭川市内で5店舗が営業を続けている。また特一番の暖簾分けに「新特一番」や「味特」などがあり、東京にもチェーン展開を行うなど、当時の繁盛振りを物語っている。 | ||
+ | |||
+ | 1960年代後半から70年代前半にかけて、札幌ラーメンの影響を受けて旭川で味噌ラーメンを取り扱い始めた「よし乃」を皮切りに、正油ラーメン以外の味を主力にする店舗が現れるなど、以降各地のラーメンの影響を受けつつ成長してきた。 | ||
+ | |||
+ | 1996年(平成8年)にあさひかわラーメン村が誕生。旭川市の商工部観光課もPRに力を入れ、観光の目玉としても親しまれるようになった[13]。2001年(平成14年)には旭川ラーメンを含む、北海道のラーメンが北海道遺産として認定された。 | ||
+ | 平成以降は蜂屋や青葉が新横浜ラーメン博物館に出店したり、旭川市外の店舗へ暖簾分けをしたり、日本国内のみならず国外まで展開するチェーン店が生まれるなど、北海道外でも旭川ラーメンの名が広まっている。 | ||